連続放火事件簿


 この手記は、平成13年に発生した、第七分団管轄下の山口・上山口
地域における連続放火事件に対する活動を当時の記憶を元に記録資料と
して残すべく、書き記したものです。
 それまでの我が地域は2年間無火災記録を達成するなど、防災意識の
強い地域,火災の少ない平和な地域として 市内で知られていました。
そんな町に降って沸いた事態が どれほどの事だったのかを伝え、また
今後も発生しないとは言い切れない この種の事件に対して、決して
忘れる事なく教訓に生かし、さらなる安全で平和な町作りに貢献出来れ
ば、、、との願いを込めて、作成致しました。
 なお火災現場の名称等はプライバシーの観点から伏せてございます。
予め御了承下さい。


§ことのはじまり。。。§
 平成11年は、無火災記録を再び更新するスタートとなるべき年でした。
しかしそんな思いとは裏腹に、突発的な放火事件が発生したのでした。。。
空き家となっていた狭山湖畔の旧土産物屋が放火されたのに端を発した放火
騒ぎは、間をおいて診療所の不審火などに拡大し、犯人の手がかりもない
まま年を越そうとしていました。
 これを受けて、第七分団では通常3日間となっている歳末特別警戒を
約1ヶ月間とし、12月の忙しない季節を仕事と団活動の両立で、団員一同
精神的・肉体的に辛い毎日を送りました。
 犯人は神出鬼没で、行動時間や行動半径から、自転車に乗っての犯行と
いう見方が一般的でしたが、なかなか捕まりませんでした。
 犯人逮捕には至らなかったものの、辛い警戒活動のお陰か、なんとか無事
に新年を迎え、放火も途絶えて、今年こそはと平成12年、1年間の無事を
願っていた6月、突如 上山口地区内で住宅の物置が全焼するという事件が
発生してしまいました。
 しかしこの火災では近所の人が放火犯人を見ていた事もあり 結果、火災
から数時間後の未明に、県道を歩いていた犯人を緊急逮捕し、七分団管轄下
における放火事件は収拾したはずでした。。。
 団員も地域の人達も毎日を安心して過ごせる安らぎが戻ったと誰もが感じ
ていました。 けれど、それは束の間の休息だったのです。。。



1月 3日
平成13年、年が明けてすぐ正月も終わらない この日に、アパートのボヤ
で出動しました。 「正月から火災出動だなんて縁起が悪いなぁ」そんな事
を口にした団員が居ましたが、まさにそのどことなく不安めいた印象を
この火事では各自が感じたのでした。

1月25日

 1月の後半、隣接地域で比較的大きな火災が相次ぎ、七分団も応援で出動
したのですが隣接ということで、ひとまず安堵していた頃、上山口地区で
建物火災が発生! ボヤで済んだものの、年明け早々の度重なる出動に
ちょうど、例年は分団役員で揃って行く神社への安全祈願に何故か分団長
一人で出向いたという事が判明した事も手伝ってか「今年は呪われてるん
じゃないの?」というような冗談も出て、不安を飛ばしていました。

2月 7日

 山口地区の泉小学校で、火事との通報を受けて出動! 4階建て校舎と
いう事もあり、夜間でしたが消防車が何台も出動する騒ぎでした。
現着してみると、火の気どころか煙さえ見当たらず…結局デマ通報という事
で撤収!「誰だこんな時間に悪趣味なイタズラしたのはッ!」ぶつける場所
のない苛立ちを煮えたぎらせながら、解散しました。
 この頃から、山口地域においてデマ通報が相次ぐようになりました。

2月10日

分団の年一回の旅行が近づいてきたこの日、山口地区で建物火災が発生!!
農家の物置ということで、1戸建てといっても差し支えない2階建ての建物
が全焼してしまいました。 住居ではなかった為、怪我人等はありませんで
したが、トラクターや石油ストーブ、布団といったものが数多く収納されて
いた為、鎮火まで、そして残火処理が とても長い火災でした。。。
火の気の無いところだった為、「漏電かもしれないな」と言う人も居ました
が、誰しも口にはしなかったものの、頭の中では「放火」の2文字が浮かん
でいました。。。

2月20日

その日は丁度、分団の旅行で西伊豆に赴き、帰宅した日でした。
旅の道中でも増加傾向にある火災について 話がちらほら出ていて、留守中は
大丈夫だろうかと誰もが不安に思いつつも 宿泊先から自宅に電話をかけると
特に何も無かったよという返事が返ってきて、無事に帰宅する事ができた為
記憶が鮮明なうちにホームページの更新の段取りをつけておこうとパソコンに
向かったものの、疲労もあって早々に 寝室に入ろうとしたその時でした。
何気なく窓を見ると、南の空が真っ赤でした。。。「うわ、大変だ~!!」
家族に連絡を頼むと着替えてバイクに飛び乗り、今や火柱が見えているその
場所に向けてバイクを走らせました。
静まりかえった闇夜に狂ったように燃え上がる炎だけが見え、現着する頃に
消防車のサイレンが聞こえてきました。
着いた時には既に遅く、、、空き家となっていた藁葺屋根の旧民家が全焼。
一番太い柱が落ちて、無惨に形の崩れた屋根がブスブスと燃えさかり、現着
した順に消火作業…というより残火処理…。
旅行から帰ってきてすぐの夜の出来事だったので、団員は半数が熟睡状態か
あるいは気分がすぐれず脱落、、、野次馬は少なかったものの、人数的に
肉体的に辛い作業でした。 そして何よりも、連続放火という事態に対する
ショックが居合わせた全員に重く のしかかりました。
近年できた住宅地が隣接していましたが、周りの林の木々に助けられ、風も
吹いていなかったせいか、発見が遅かったものの、ケガ人もなく1件全焼
だけで鎮火! 現状を見たら、結果は奇跡とも言えるもので、それだけが
幸いでした。

2月23日

2件連続で不審火が発生した為、緊急に地元自治会で警備警戒が行われる事
になり、分団と打ち合わせを行いました。
もう誰もが、連続放火は過去の事だと片づけてはいなかったのです。。。

2月26日

先日の自治会との打ち合わせを元に、前日分団役員で会議を設けた結果、分団
でも警戒活動を行う事が正式に決定し、早速実施されました。
毎日、班ごとに分担や出席者、時間などを決めて詰め所に集合し、分団3役も
交代で出席する中、消防車で管轄地域を見回る事になりました。
 と、ここでまたしても火災発生!
上山口地区の八百屋さんに火をつけられてしまいました。
近所の人が早く発見できた為、部分的な消失で鎮火! 我々も警戒活動中
だった担当班が消防車で急行でき、担当以外だった団員も続々と駆けつけ
付近にまだ放火犯が居るに違いないという事で、辺り一帯をくまなく
捜索する事になりましたが、不審者の発見には至らず。。。
 捜索から帰ってみると、火災の模様を家庭用ビデオカメラに収めている
怪しい人物が居たとの事で警察が本人から事情を聞くような事もありました
が、犯人には結びつかなかったようでした。
 この事を受けて、分団の警戒活動において、特に怪しいと思われる人気の
ない寺社仏閣や裏路地に入った暗がりの住宅街などでは、消防車を止めて
降車し、懐中電灯をつけて付近を捜索する活動も加わる事になりました。

2月27日

深夜、上山口地区の山林において、火災発生の一報!!
夜陰が支配し、あまりに面積が広大だった為、どこが燃えているのか発見に
随分と時間を要しました。 いつまで消防車のサイレンが鳴っているんだ
ろうかというような感じでした。 またしてもデマ通報なのではないか?と
怪しんだ頃、やっと火元を発見し、数平方メートルの下草が夜露に濡れ
ながらもブスブスとくすぶっているのを消火、撤収!
 いつ起こるか分からない放火に全く熟睡が出来ず、仕事と団活動の双方で
活動しなければならなかった為、この頃は皆、疲労が色濃く顔に出ていま
した。 地域の人達もしかり、様々な時間帯に昼夜を問わず交代で見回りを
続けていて、疲労の極みにある事は明らかでした。
いったいどうなるんだろう…そんな不安だけが心を支配していました。

3月 3日

日が暮れてしばらくしてから、分団OB宅より一報! またしても上山口の
山林が燃えているとの事。
主立った面々と携帯電話で連絡をとりながら、詰め所に集結して消防車に
飛び乗り、多摩湖周遊道路から裏道を抜けて山口地区の一番奥に入り
消火栓確保! 急斜面の林の向こう側に火炎を確認すると積んである全ての
ホースと、部長が詰め所から持ってきたホース全部を使って十数本延長。
田圃のあぜ道を抜け、斜面を駆け上り、足場の悪い山林を越えての消火作業
この時ばかりは可搬ポンプが欲しかった!!
ポンプ車限界まで圧力を上げて送水。エンジンがオーバーヒートしそうだ
ったので、ボンネットを開けて冷却を調整しながらの機関操作を強いられ
ました。 それでも火点における水圧は、放水が維持できる程度のもので
こんなにも圧力損失してしまうものかと悲しくなりました。 消防車近く
のホースは、規定圧を遙かにオーバーしていた為、ホースが耐えられずに
穴があき、水しぶきを上げるような箇所が続出しましたが、他に消火栓や
水利もなく、そのたびに車両まで戻り、ホースバントを持って反転し、破損
箇所を応急で塞ぎ、現状をどうにか切り抜ける以外にありませんでした。
 ほぼ同着したものの、車幅制限で入ってこれなかった南分署の隊も反対側
から山林を抜けホースを伸ばしてきて消火を開始! 地面が湿っていた事
で思ったより延焼が進まない事にも助けられて、ようやく鎮火しました。
先日の火災現場とほぼ同じ場所だった為、してやられた!との無念の思い
と、連日の警戒での疲弊していた事もあり、「消えて良かった!」という
成果を喜ぶ声は全く聞こえず、一様に皆うつむいたまま無言でした。。。
所沢で山火事があるだなんて、誰が予想したでしょうか?

3月16日

仕事も終わりかけた頃、団員からの火災の一報と共に、けたたましいサイ
レンを鳴らし消防署の車両が西に向けて走り去っていきました。。。
「今度はどこだ~!!」そう思って西側の窓を開けると、夕焼けでもない
のに西の空が真っ赤でした。 ちょうどトトロの森の南側とおぼしき地点
から巨大な火柱が上がっており、呆然と立ちすくんでしまいました。
後続の消防車両のサイレンで我に返って、窓をしめ、着替えて詰め所に
向かうも、消防車は既に出る所らしかったので、マイカーでそのまま現着
を目指しました。
現場は西武球場前駅の目の前にある、大晦日に賑わう市内では有名な仏閣。
本堂が、化け物じみた炎に包まれ、その炎たるや建物の2倍強くらい達し
ゴウゴウと音をたてて燃えていました。地獄が具現化したようでした。
急いで詰め所を出た為、車両に無線の積載を忘れたとの連絡を受け、引き
返して詰め所に戻り、無線機を取って再度現着すると、第二出動がかかり
すでにもう何台かの消防車が到着していました。第七分団を探すと、裏門
を開けてもらい、そこから消防車で本堂下にある一番火点に近い防火水槽
まで至り確保してるとの事。急いで道路脇に車を止め、無線機を抱えて
走り合流してみると、すでに2系統で延長し、消火作業をしていましたが
ものすごい火の粉と火勢に、うかつに近寄れず、筒先要員も何度か交代を
繰り返しながら水を浴びせていました。
 火勢は全然衰えず、ついに所沢市の全消防署と全消防団が応援に来る
事態となりましたが、一方で次々と防火水槽の水が底をついていました。
周りを見ずに黙々と消火活動をしていた我が分団も、防火水槽の水が無く
なってみて はじめてその状況に気がつきました。
「伝令!水がありません!」「なんだとぉ?!」「どうするんだ!!」
怒号が飛び交う中、焼けずに落ちた屋根を盾がわりに注水をかわしヌクヌク
と生き延び、あざ笑うかのようにゴウゴウと燃え続ける火点に対し、屋根を
どかす作業と、防火水槽の使い切りによる車両配置の転換,伸張したホース
の整理が同時に進められる事になりました。
が、、、そうこうしていると狭山湖南側で別の火災発生の一報が…!!
「おのれ、放火魔め!!」罵りつつも、持ち場で懸命に作業を続けるしか
ありません。 幸い使える水利の減少で手の空いていた消防隊が居たため
すぐさま駆けつけてもらいましたが、状況は芳しくありませんでした。
水槽つきのポンプ車が水を汲んで帰ってくるまで、遠方消火栓からの中継
送水を数系統に分岐して四方からの注水で凌ぎ、火の粉が飛ぶ中を
がれきをどかしながら ホースを引っ張り、移動を繰り返すという根気と
忍耐の要る作業を強いられていました。
 水利を失った我が分団は火点から一度後退して、火の粉が下の民家の
軒先にある木に燃え移り、火が出ているとの報告を受けた為、付近の
見回りと、道路工事等で地図から失われた隠れている他の水利は無いもの
かと捜索に全力を投じました。
この頃には隣接市の消防車両も何台か駆けつけてくれ、しばらくして
やっと火勢鎮圧。 気がつけば、真夜中を過ぎていました。。。
重要文化財の建造物もあるとのことで、確認を取る必要があるらしく消防署
が人員交代をせず残火処理を行うという話だったので、ホースを消防署の隊
にお任せして、第七分団撤収! ベットに直行しました。。。

3月18日

消防本部で上級救命講習が行われたので、それに出席して無事免状を受け取り
ました。 それまで普通救命講習しか行われてなかった所沢市消防団において
第七分団が提案して実現した講習だったので、喜ばしいはずなのに疲れていて
あまり嬉びの実感が沸きませんでした。。。
 放火の事も含めて相談事もあり、また美味しい物を食べて鋭気を養おうと
いう気持ちもあって、終了後、詰め所の戸締まりを確認して有志で集合し
近所の料理処で料理の味を噛みしめていると、程なくして火災の一報が…。
すぐさま詰め所までダッシュし、居合わせた全員で消防車に飛び乗って、無線
で現場の住所を聞きながら、住宅地図を片手にナビゲート!
まだ消防署も到着しておらず、一番近いと思える水利に吸管をつないでホース
を延長し、無線で火元と言っていた宅に駆けつけるも、すでに住人が初期消火
で鎮火していたので、ホース撤収!
一応暗がりだったので車載の電源とライトを持ってきて、火点を照らして
みてみれば、少しビニールシートのようなものが燃えた程度で消火されて
いました。
話を聞くと、放火が怖かったのでゴミを出したばかりだったとか。。。
そう言われて周りを見回すと、どの家庭も庭先や軒先はキレイに片づいていて
放火に対する地域の意識の高さと強さが窺えました。
 後で聞いた話ですが、自治会で見回りを当番制でするうちに、他人宅の庭先
をかなり調べる人がいて、ゴミや燃えやすい物が置いてあったりすると井戸端
会議でヤリ玉にあげられてしまうような格好になり、結果、家庭の軒先が
とてもキレイになってしまった、、、との事でした。
 詰め所に帰還して、片づけをしていると団員の一人が放火犯に自分達の
行動が監視されているんじゃないか?との疑問を投げかけました。 その
日も丁度、詰め所の電気を消してシャッターを閉めた後の出来事であり、
それまでも何度か、警戒活動が終わった後、家に帰って一服という所で火災
の一報があったからです。 このままでは一生懸命に努力しているのに放火
犯と疑われかねない!という危惧や、放火魔に舐められてたまるか!という
怒りもあって、私服に着替えてマイカーで副分団長宅に再集結し、詰め所の
電気を消し、シャッターを降ろしておいて、消防車だけ出して、活動終了と
見せかけておいて、ボヤで済んでこのまま何もしない犯人ではない!との確信
の元、消防車とマイカーに便乗して管轄地域を くまなく捜索しました。
 途中警察の方に呼び止められる場面もありましたが、団本部の計らいで、
団員全員が火災現場にマイカーで来ても平気なように、車のダッシュボードに
置ける身分証明書を作成・発行して貰っていたので、私服だったものの
「ご苦労様です!」の一言でパス! 絶対捕まえてやるという意気込みで
数時間をかけ虱潰しに巡回したものの、手がかりや不審者の発見には至らず
・・・またしても犯人に一杯食わされたのか?!という無念の思いで、脱力感
に支配されながら、帰宅しました。

3月21日

全く収まる気配のない放火騒ぎのせいで、いつ辞められるとも分からない
毎日仕事の終わったあとの警戒活動が団員の疲労を限界に導いていた為、
団本部にお願いし、他の九箇分団に協力して貰い当番制で所沢市消防団
全分団が、七分団の地域を警戒する事が決まり 分団長会議や団役員会議に
おいて十箇分団の日にちの割り当て等が協議されていました。
若い衆は、確かに疲労はピークにあったものの、自分達で地域を守るんだと
いう気負いから、「管轄下を自力で守れませんでした、すいません助けて
下さい!」と言わんばかりの決定に猛反発しましたが、気負いだけを根拠に
公然と異議を唱えられるだけの自信は誰にも ありはしませんでした。
 この頃は埼玉県警が刑事さんを地域に配置し、所沢警察も大増員して警戒に
当たってくれていました。実際地元で仕事をしていると、数分おきにパトカー
を見るといった状態で、その警戒の厳しさが窺え 頼もしくもありましたが、
いかんせん犯人逮捕にだけ集中するきらいがあり 火災現場では、交通整理や
野次馬の排除といった事の殆ど全てを団で担当したり、居合わせた団員の
顔写真を撮ったりで、一生懸命に犯人捜索をしてくれているとはじゅうじゅう
承知していたものの、かなり不満を感じる事もありました。
さらに、普段仕事が忙しくて滅多に姿を見せない団員が来て、いつも活動
している団員に対して「おまえがやったんだろ?早く自首しちゃえよ」という
ような、一連の騒ぎが早く終わって欲しいという気持ちから来る、悪気は無い
にしても悪趣味な冗談まで飛び出すようになり、団員同士で険悪ムードに陥る
など、分団内にはイライラから目に見えない亀裂が生じ、いつのまにか溝が
深くなっているような危機感を感じました。
出口の見えない袋小路で、みんな本当に疲れ果てていました。。。

3月23日

山口地区のお寺で深夜、火災の通報!
ベットに居たがる体を無理矢理起こして着替えると、バイクで現場に急ぎ
ました。現着してみると、お寺の裏手にあるお墓の隅の下草が僅かに燃えて
いたとの事で、放水するまでもなく、すぐさま鎮火! 警察の人達やら、関係
者がドヤドヤとやってきましたが、第七分団撤収!「お疲れ様…」と元気の
ない声で挨拶を交わし、帰宅。うなだれつつ再びベットに潜り込みました。

3月27日

全十箇分団による、山口・上山口地域の警戒活動が始まりました。
第七分団の詰め所が必然的に拠点となった為、毎日毎夜警戒している団員を
休ませる為の処置という事だったにもかかわらず、詰め所のカギ当番やガス
水道の栓の点検、お茶汲み、激励に来るお客さんの接待等の兼ね合いもあり、
結局、担当人数こそ減ったものの今まで通りに交代で毎日詰め所に行く事に
なりました。 でも、自宅に居て休んでいても、いつ起こるか分からない
放火がおさまらない限り絶対くつろげない事は、みんな分かりきっていたので
心づくしと協力に感謝しつつ、4月の終わりまで他の分団の皆さんに甘え、
手伝って貰う事になりました。


4月6日

隣接第八分団管轄で昼間 住宅火災が発生! 管轄ではなかったもののサイレン
を聞いて条件反射的に詰め所に集合してしまい、比較的規模が大きそうだった
ので、そのまま出動! 我々は後方で道路の真ん中に消防車を止め、道路が
ホースや消防車両で通行が出来なくなっていたので、迂回路に一般車を誘導
していました。
程なくして鎮火! 消防署の車両が何台か去って、道路が使える状態になるの
を待ち、交通規制を解除し撤収しました。

4月7日

第十分団が警戒活動で当番となっており、見回ってくれていたその時、火災の
一報! 場所は山口地区北側の、第六分団との境に程近い林でした。
幸い火災は下草が少し燃えた程度のボヤの様なもので、すぐに鎮火しましたが
それまで放火区域が比較的限られていたので、この場所には皆驚きを禁じ得ま
せんでした。 放火犯人の行動半径の拡大や、模造犯の出現を連想し、皆の心
は沈みました。

4月23日

管轄のクリーニング店が燃えているとの団員からの一報を受けて詰め所に行き
消防車に飛び乗って現場に急行!
どうやら放火ではないようで、その点だけは安堵したものの、窓ガラスが尽く
割れて窓枠がひしゃげており、店内は殆ど全て黒こげで激しく爆発炎上した事
が窺えました。消防隊の現着が早く、行って間もなくして火勢鎮圧。
警察と消防署でそのまま現場検証という事になったので、交通整理を担当し
検証の終了と共に撤収しました。

5月28日

 厳重な警戒が功を奏したのか、しばらく火災が落ち着いていましたが
ここで火災発生! 以前に山火事を経験した現場から西側に少し行った所に
あるお墓近くの山林が燃えました。
またしても水利が乏しく、消防署の車両が先着していたので、距離の離れた
住宅街にある消火栓から中継送水を担当することになりました。
一番近い水利からも遠く、また斜面や金網などで道を阻まれていたので
火災規模としてはボヤ程度のものでしたが、随分と時間を費やしてしまい
ました。
分団車両から火点を見に行った数名のうち、何人かが山林の暗闇の中で方向
感覚を見失い迷子になるといった珍事も発生し、皆で捜索するというような
騒ぎも起きましたが、無事に鎮火! 撤収しました。

6月2日

山口地区の食堂で早朝火災発生!!

食堂という事で放火とは無縁と思われましたが、従業員の話によると、きちん
と火の元の始末をしてから退社したとの事で、不審火の疑いが濃厚になり
ました。

7月2日

第六分団との管轄境にある山口地区のアパートでボヤ発生。放火とは異なり
また、119番への通報時に署員さん達の指導があって現着する頃には初期消火
で鎮火していました。
消防署は検証すべく残るような話でしたが我々はホッとして消防車に乗り込み
撤収しました。

7月8日

早朝、山口地区で建物火災発生!! またしても住宅の物置を狙ったと思わ
れる不審火でした。 消防署への通報が若干遅かったのか、建物の構造上燃え
るのが早かったのか、団と消防署の消防車が現着する頃には、既に物置は原形
が分からないくらい無惨に焼け朽ちており、よく見ると道路を隔てた家屋の
外壁を高温で溶かしていて、かなりの火勢であったことが伺い知れました。
もはや骨組みしか残っていなかったけれど、しかしブスブスと燃え続ける火点
に対し順次放水を浴びせ、かなり遠くまで火の粉が飛んでいたので付近の家に
着火に気をつけるよう声をかけて回りました。
程なくして火勢鎮圧となったものの、まだ随所でくすぶっていたので、消防署
の隊が交代で引き上げた後、次の隊が来るまで警戒に当たり、到着を待って
撤収しました。

7月17日

先日 連続放火が起きた狭山湖南側の現場に程近い飲食店で火災の一報。
行ってみると、壁が少し焦げたくらいで消火になっており、ホッとしたものの
よく見ればスグ側にLPガスボンベが並んでおり、かなり冷や汗をかきました
消防隊の撤収まで道路の交通整理を行った後、撤収しました。

7月20日

上山口地区で車両火災の一報。車両では出動無しかなと思っていると、消防隊
現着してすぐにその他火災から建物火災へと切り替わり、一体何がどうなって
いるんだろうと、急いで駆けつけてみると、アパートと店舗が入っている建物
と、そのすぐ脇にとめてあった車との間のゴミから出火していたらしく、それ
が建物と車に燃え移ったかのような形になっていました。
かなり遅れて現着した為、到着した頃にはほぼ消火がなされており、大事に
至らずに鎮火しました。
しばらく消防隊の作業を遠目に見ていると、他の団員が仕事中に付近で怪しい
人物を呼び止め、逃げたので追いかけて確保したとの連絡が入り、我々の顔
写真をとっていた刑事さん達に連絡し、急いで刑事さんの覆面パトカーと共に
現場へ急行しました。
犯人はどんなやつだろうか?ここまで地域の人間を困らせて疲弊させた憎い人
はどんな顔をしているのだろう?そんな疑問や関心で頭が一杯でしたが、犯人
が何かを逃げる際に投げ捨てたとの、追いかけた団員の証言で、それならば
物的証拠を探してやろう!という事になり、無線機で連絡を取り合いながら
四方に分かれて道沿いを丹念に捜索して回りました。
しかし辺りはすっかり夜陰に包まれていて、懐中電灯の明かりだけでは捜索に
限界がありました。結局何も見つからないまま一旦消防車の所に再集結して
対応を考えていると、パトカーが犯人と捕まえた団員を乗せて、警察署に走り
去っていきました。
結局その日はこれ以上の捜索は無理だという判断に至り、犯人についてあれこれ
話し合いつつも、これで放火が収まるといいなという願いと共に撤収しました。
 少し後で警察署に行った団員に話を聞いてみると、犯人は初老の浮浪者らしき
人物で、詳細は分からないが、明け方近くまで警察署で様々な質問を受けて参っ
たというような話でした。

3月20日

 事実これ以降、放火騒ぎは収まり、現在の所平穏な毎日が過ごせています。
しかし警察の方から分団や地域には、未だ公式には何も発表がありません。
果たして、あの日捕まった犯人は地域にこれだけの火災をもたらした人物だった
のか?そんな疑問を少し残したままではありますが、地域の人達も我々も一層の
防火意識の元、日々暮らし、働いている所です。。。




§ことのおわりに。。。§
 今回私達が体験した連続放火事件は、TVのニュース等ではありふれた話題
ですし、他地域には、被害件数がもっと多かった事件も多々存在しますので
「へぇ~」とか「大変だねぇ」の一言で対岸の火事だと片づけられてしまう事
かも知れません。
でも、実際に経験してみると、TV画面というフィルターを通じてでは絶対に
知り得ないものが沢山あります。
・夜起きて外を見たら空が炎に照らされて真っ赤だったらどうしよう?!
・起きたら家が放火され 部屋が炎で埋め尽くされているかも知れない。。。
こういった恐怖を味わった事が ありますか??

 地震で避難生活を余儀なくされた方々に話を聞くと、
目覚めたら家具に潰されてるかもしれない、余震が来るたびに恐怖で全身が
震えてしょうがない、、、というような事を大勢の方からお聞きします。

地震などは天災の1つですが、放火は言ってみれば 人災、、、被害者と加害
者が居る点を除けば、全く違うように思えて、実は同じ災害なんですね。
 そこには恐怖があり、不安があり、決定的な手だてが無いまま、助け合って
生きていく人々の生活があります。
この点は現実を見せつけられ、痛いほど思い知らされました。

何かを学び取り、今後に生かすという意味では貴重な経験が出来たのではない
かと思います。

 一連の放火事件が収束してみて、感じた事、大切だと思った事は、、、
     
  1. 決して、どんな地域でも放火に対し無縁ではいられない。

  2.  
  3. 対応には警察・消防および自治会の密接な連携が不可欠。

  4.  
  5. ハイテクが進んでも、マンパワーによる人海戦術が有効な手段。

  6.  
  7. 隣近所と仲良くし、互いに防犯意識を高める。

  8.  
  9. 日頃から家の周りには燃えやすい物を置かない。

  10.  
  11. 早期の段階で最大限の断固たる手段を講じ、犯人を増長させない。


、、、というような事です。

分団OBや団歴の長い先輩団員に聞くと、昔は我が地域には火災が皆無であり
年に1度出動すれば 今年は災難な年だったな、と感じたそうです。
 放火はよく都市化の副産物として捉えられる事が多いように見受けられます
実際、我が地域においても宅地化が進んで開発がなされたのは、ここ十数年の
事です。 それに比例して火災が増えたのは事実ですが、一方で自治会組織
などが地区ごとに活発で、昔ながらの活動を続けているのもまた事実です。
アパートなどでは隣近所に誰が住んでいるのか分からないというような所は
あるものの、果たして宅地が増えて住民が増えただけで、都市化が進行したか
といえば疑問に思えるような所が多々あるような気もします。
 にもかかわらず、これだけの連続放火事件に苛まされ、地域の安全は犯され
恐怖に支配されました。
高等教育の浸透と、生活習慣の多様化で、放火の動機も 単純な怨恨から多種
多様になり、犯人も年々賢くなってきているそうです。
私達は思います、放火は決して都市化の副産物という側面だけを持つものでは
ないと、、、いかなる地域においても、たった1人の放火魔が出現する事で、
地域の安全は根底から覆され 脅かされてしまう、、、それが現実でした。

 私達の経験が、他の地域の皆さんに少しでも役立つ事を願って。。。

  *御意見御感想等ありましたら、御気軽に掲示板に投稿をお寄せ下さい。


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1999,2002 Tokorozawa Fire7 VolunteerCorps